其の3) 左腕切断の経緯。父の命と身体があるだけでも幸せだった。福岡県博多にある想いを伝える遺影写真撮影。
こんにちは、マルスタジオ福岡店のタナカです。
親は自分より先に旅立つと覚悟していながらも、準備をするのが不謹慎なのではないかと思い準備ができていませんでした。
そんな土壇場で遺影写真がへんてこりんな仕上がりだった。
という話は以下のリンクからお読みいただけます。
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父の余命宣告は半年。と診断されてましたが、3年も長生きでした。
腕の手術をした時は、まだコロナが始まっていない時期で、
お見舞いに行けたのは幸いです。
腕がない生活をこの時はどのように考えていたのでしょうか。
実生活が始まり、腕がないということだけで、
世間の目と態度が180度変わった。と言います。
遠巻きに眺めてくる人、無い左腕をじっと見てくる人。
出かけるのが嫌だな。と気持ちが塞ぐこともあったようです。
1人で出かけれるまでになったのは、
デイサービスを利用し、しばらく経ってからでした。
そもそも手術に至るまでの経緯は、左肘の関節に " おでき ” みたいなものができたそうです。
ほんと数センチの大きさ。たまにかゆみや、疼くことがあり、
ぽりぽり指でかいていました。
肌をかきすぎてカザブタができて、炎症を起こすことも。
母は父に病院へ行くことを催促しましたが、
『大丈夫、大丈夫。たいしたことないから。』の一点張り。
あれよというまに腕が腫れ上がり、腕から血が吹き出し慌てて病院へ行くことに、、、。
検査の結果は、何万人に1人。という確率の病気。
小さなオデキは癌へと変容し、リンパに転移していました。
(写真は、術後2週間後。1人で歩いてトイレに行くぐらいの気力の持ち主。)
昔の人は、痛い、悲しい、辛い。とは言ってはならない。
という教えがあったようですね。
父の兄は戦争へ行き、父は兄の姿を見ていたので、自分の痛みも我慢したのでしょう。
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皆様にお伝えしたことは、
身体も同様、心の痛みも我慢してはいけません。
あとは、周囲の言葉にも耳を傾けること!
怪我をしたら、もしかしたら。。のことも予測してほしいです。
私の父は、庭の薬草を煎じて腕に塗り込んだり、薬局へ行っては、いろんな種類の薬を塗っていました。
ちなみ術後の家族は父の遺影写真のことなんて微塵も考えていませんでした。
続きは、其の4へ続きます。
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